
ロケットの打ち上げに参加
近藤ヒデ
秋田県
三十三年前の昭和三十七年一月、その日は雪が降って寒い日でしたが、長男が生まれました。それは大変な喜びでした。当時は産婆さんの手助けで赤ちゃんを生みました。体に悪いところがなければ病院でお産をする人はいませんでした。
私は丈夫でしたので産婆さんでした。ところが安産のつもりが難産になり、産婆さんでは手におえなくなり産婦人科の病院へ頼みました。でも返事をしてくれなくてすごく不安でした。結局、どうにか産婆さんの手で生むことができました。
子供も丈夫でしたので、十七日目で私の三十三のお祝いと一緒に祝いました。名前をつけるときは、お父さんは冗談を言いながら、難しい名前をつけると、もしかして、偉くなって選挙にも出るようになれば困るから、わかりやすい簡単な名前をつけようと言って、「仁」とつけました。
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